おはようございます。
被災地訪問の続きを書きます。
これから以降は、現地の被害のひどいエリアの写真が含まれるので、気分が悪くなるような方は閲覧を控えてください。
またこの写真を撮ることや、blogにアップすることを悩みましたが現地を訪問し、ありのままを伝えることが少なくとも私の責務と考えアップします。
亡くなられた方への黙祷をお願いします。
中継地点から、救済地へ向かうことになった。
向かう先は高齢の女性が一人で住んでいる家だった。
歩いて5分くらい。
そこまでの道程がこれ。
鉄道のフェンス沿いに歩いていったが、既に爪あとが見られる。
これはヘドロが乾ききった状態。
さらにこのような道を進んでいく。
ちなみにこのヘドロの下は普通の道路が出てくるので驚きだ。
途中で見たアパートはすでに壊滅状態。
建物として弱いものの被害は想像を超える。
そこから救済地へ着き、床をはぎ、ヘドロを土嚢袋へ詰め込み午前が終わった。
午後は軒先のヘドロを詰め込む作業をした。
普段シャベルを使う作業に慣れておらず、かなり腰が痛く汗も半端なく出た。
作業が終わり、被害の大きかったエリアを視察に行った。
写真では表せないなんとも言えないものを体が感じる。
人生で初めて頭から指令に体が拒絶反応を示した。
立ち入ることがはばかれた。
360°見渡す限り何もないことや音がまったくないことを想像できるだろうか。
ずっとこのよう光景が続く。
この車道も狭く途中で陥没していた。
1kmくらい進み、戻る羽目に。
津波が来たときを想像すると、今でも鳥肌がたつ。
さらに進むと船が乗り上げていた。
この裏にはタンカーも乗り上げていたが、これ以上進むことができず、写真を収められなかった。
ここは橋を渡った先だが、これから先は一般車は立ち入ることが困難。
途中にある水溜りは変色し、異様な臭いを発していた。
そんな中、自衛隊は調査をしていた。
未発見の死体がないか、有毒な物質が含まれていないか。
こんな広大なエリアの中、たった数名の自衛隊がそれをやっているのである。
気が遠くなり、さらには精神的にも障害をきすかもしれない。
尊敬、それ以外言葉が思いつかない。
私自身、帰京してから毎夜、夢で目覚める。
きっと彼らはそれどころではないだろう。
また車や家に様々ペイントがされている。
赤の×、白の×、ノーマーク。
想像できるだろうが、知れば知るほど畏怖を感じた。
天災が起きた際は、笑いものになってもいいくらい敏感にリスクマネージをすべきと思った。
以上、本当に伝えたいこともたくさんあるが、これ以上は厳しい。
6月にも現地に赴き、ボランティアをしてこようと思う。
現地に行かないと本当に感じることは違う。
ボランティアの数もどんどん減ってきている。
みんなの協力が必要だ。